5月28日(水)午後7時
時折小雨が肌にあたる新世界、通天閣歌謡劇場。
目の前には大西ユカリが立っている。
「あっ、からすみ。」
彼女の歌う「おんな港町」を聞きながらそう思った。
昭和52年、当時27歳の八代亜紀が放ったお馴染みのヒット曲である。
その日の昼間、私は幸運にも2種類の「からすみ」を食する機会に恵まれた。
ひとつは手間暇かけて作られツヤのある柿色をしたアレである。
歯ざわりはしっとりとして、濃厚だ。
もうひとつは初めて目にする「生のからすみ」だ。
薄い黄土色をしたそれはあっさりとしていて、
言われなければ、同じ「ボラ」の卵とは判らないくらい別の風味である。
今では「からすみ」といえば柿色のものを指すことが多いが、
産地として名高い長崎では、
かつては「生のからすみ」、つまりボラの卵をそのまま食することが
多かったそうだ。
共に美味だが、それまでは普通に食べられていたボラの卵が江戸時代の初め、
一人の日本人の手によって、突然「からすみ」に生まれ変わった。
しかも、卵の塩加減を調整し、じっくり天日に干すその手法は
日本古来のものではなく、意外にも地中海の人々のアイディアだったそうである。
行ったこともない遠い国のやり方で
最初に「からすみ」を作った日本人はどんな人だったんだろう、と
想像しながら食事を終えた。
そして夕方、新世界・通天閣歌謡劇場。
大西ユカリのライブが始まっていた。
「おんな港町」は見事にその姿をファンクチューンに変身させ、フロアを
焚きつけている。
ネイティブアメリカンのことなんてほとんど知らないのに「アパッチ野球軍」で
別人種に変身している自分がいる。
「黒いオートバイ」はCKBとは違うエンジンを搭載し、猛スピードで会場全体を
かき回している。
私は「空手アクセル」を吹かしながらふと想像した。
大西ユカリが江戸時代の長崎にいたら、
きっと「からすみ」を作る最初に日本人になっていたに違いない。
誰も思いもつかない、もしかすると、本人すら気付かないアイディアで
新しいモノを生み出す何かを持っているから。
目の前の大西ユカリは
そうした生み出した歌を
大切に、本当に丁寧に、一曲一曲を歌っている。
慈しむように。
次はいったいどんなアイディアで私たちを楽しませてくれるのだろう。
それは大西ユカリ本人にも判らないのかもしれない。
だからこそ、彼女から目が離せないのである。
乾 正
